いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

まともではない

辛いことは辛い

傷ついたことは傷ついたとしか言いようがない

 

そのかわりに、わたしに嫌な思いをさせた○○は間抜けだとか、このバカとか言ったところで、(母が言ったように)あなたは他人をバカにする嫌な奴だということになるだけで

問題の解決には何もならない

 

本当は自分は 内心別に他人バカだとか頭悪いとかそんなふうに考えてないのだが。

相手が嫌な思いをするように、腹いせにそういうふうにいうだけで、要は自分がひどく傷ついてるというだけなのだ。

 

自分が一番傷ついた言い方を他人にして見せたということかもしれない。

 

じゃあ、そうではなくて、どうするか。

 

他人より優越していなければ生きていけないと

なんでそんなふうに思う羽目になったのか

子供の頃、わたしそんなに頭良くないし、受験して勝ち続けるとかそんなの無理なわけだから、そういう生き方をやめたいと考えた、というのは至極普通だし合理的だと思う。

それよりむしろやりたいことを見つけてそれで生きていきたいと思う、それも普通だしいい考えだったと思う。

 

だいたい、そういうわたしがまともに勉強したことがあったのか。

四年生の時に塾に行ったのが一年足らずだったけどその時と(結局受験する前に不登校になった)、高校の一次試験は寝過ごして行かなかったから、二次募集で受ける直前の1週間にやっただけだ。

その後離人症になって、なおさら何も勉強なんてしない。小学校の終わりから昼夜逆転しており、リストカットしていたり死にたいと考えていて、確かに本は読んでいたけれど、

中学の三年間は引きこもって友達も一人も作らず部活も勉強もしていなくて、パニック発作だの強迫障害で悶々としていて、昼間は親と喧嘩しかしてない。

当然精神科にも行ってない。

慢性的に腹痛がひどくて、近所の内科に行って毎週のように抗生剤と胃薬をもらった。

たしか、十二指腸炎、と言われた。

 

高校だけはいけとか、駅弁大学はだめだとか、いろいろ言われたけど、わたしがそんな言葉を聞きながら何もしないで引きこもっている間に、周りの人は友達と遊んだり、部活をしたり、勉強をしていたのだ。

社会性という意味で大きく欠損している。

お前は将来どうするんだと言われたけど、それ以前に児童期と思春期をまともに送らなかった。子供らしい子供時代というものをたぶん、まったく送らなかった。

 

もっと前に戻れば、五年生の時に学校に行けなくなったけれど、その時に、親と毎日喧嘩になることや、いじめを回避して無理して友達に付き合うということが大変だったし、しかも忙しすぎた。

そのほかいろんなことが負担で、もう動けなくなっているのに、その理由を自分ではっきりさせることができなかった。

疲れたとは母に言ったけど、認めてもらえなかったから。

 結局、周りがバカだとか先生が頭悪いとかいって親に当り散らした。

その結果親はすぐにわたしを学校をやめさせた。…たぶんそれが一番、親がわたしに反応する言葉だったから、かもしれない。

 親はいまだに、学校を辞めた理由は、あなたが学校の先生や友達のレベルが低いといっていたからだというけれど、

そうだろうか。

わたしが不登校になった時にわたしの親も、クラスメイトの親は下品だとか教師も変だとか言っていたのを覚えてる。

 

…たぶん、わたしが学校生活というものについていけなかっただけだ。

どこの学校かに関係はない。だって転校したらもう1日しか行かなかったもの。

 

自分の子供を見ると分かる。友達関係は大事だし、勉強を習慣にすることは大事だ。生活習慣もとても大事だ。

子供はわりと、いろんなものがわかるし知的に高いぽいけど、友人関係を軽んじたりはしない。

 

…わたしは、ストレスに弱くて能力的にも、プレッシャーにも勝てなかったし、家庭環境にも勝てなかったので、児童期から精神疾患になりましたというだけで、潰れていることを、親も認められず、この子は学校をバカにしているから行かないのだとかいい、

わたしもそうなのだと思おうとしたというだけで、要は、欠損の埋め合わせがいまだにできていないだけなのだ。

弟も同じくらいの時期にプレッシャーにより潰れていたけど、親はそれも認められなかった。

ただ、精神的に潰れた訳ではなくて違う理由で、緩慢に死んだ。

 

二次募集でなんとか入り込んだ高校は三分の1も行っておらず、二年の終わりにやめて、単位は一年の時のものしかなかった。

いろいろ工夫して一気に二年分の大検を取って、さて受験と言われたけど、受験の問題なんて全く解けない。

もともと服飾学校に行きたかったけど反対されたので、大学を受けるということになった。

 

さて、家庭環境的に早慶以下の学歴の人がいない。

…親はわたしもちゃんとした大学に受かると信じていた。

しかしとにかく引きこもり期間が長かったのと、友達の医者の子供も浪人することになったので、わたしも予備校でも通いなさいということになった。

 

それで、一年、予備校に行った。

国語だけは学校生活の代償として本ばっかり読んでいたせいか、離人症があっても比較的にできたので、親のプレッシャーもあって、入校時にどういうわけだか東大コースに入ってしまった。

たしか、国語の偏差値80で英語はそんなに行かないけどまだましで、数学理科が40以下とかだったと思う。

文系を選べば良いのに、父がエンジニアだったから理系を選んだ。弟もそうだ。

今思えば中学からやり直しコースとかあったらよかったのだが。

…それで、入っては見たけど国語英語はともかく、数学理科は一問も解けないし、問題文すらちんぷんかんぷんだ。

 まったくついて行けないわたしは、入った段階でどうにもならなくて、理系科目は中学校の教科書から全部やり直すことになった。

 

 やる気のない人というのは予備校にもいるもので、わたしは勉強よりも人間関係の方が目新しくて、初めて彼氏ができたり、初めて飲み会に行ったりしている間に瞬く間に一年はすぎた。

パニック発作もその頃はなかった気がする。

離人症はあって大変だったけど、人間関係とか日常的にはそこまでは困らなかった。軽いのかな。

でも、今思えば、彼氏を作るとか、遊ぶとか、実際問題そっちの方が年齢的に取り戻すメリットがあったような気はする…。

 

一年が過ぎて、たしか早慶理工学部あたりまではA判定まで持ち込んだけど、成績は不安定で、解いてるけど、やっていることが全然分からなかった。

解けても、理解したとかわかったという感じが全くなかった。

わからないと思うと、いっつもその瞬間に混乱してしまう。

 

…国語だけできても受験はだめで、しかも国語が受験科目にある理系の大学なんてほとんどない。

さらにプレッシャーがかかると離人症が悪化して文章も読めなくなる。

センターなら解けるとわかっているからある程度できるものもあったけど、基本的に本番は体調にもでて、全部ぼろぼろで母校と早稲田のどこかに引っかかったくらいで受験は失敗し、苦々しく終わった。

今思えば受験というのは普通の人が普通にコツコツと努力すれば良いものであるのに、わたしはメンタルが弱くて(というより病気で)、打ち勝つほどの能力もないから、不安定な結果しか出せなかったということになるのかもしれない。

 とはいえ、あまりに理系科目ができなくて、暗記科目の社会もダメだったので、一応第一志望は入りやすかった母校ということにしていたから(やりたいことがなかったし、通える範囲で希望の学部があるのがその頃東大とそこしかなかったから)、一応希望の大学に入ったと言うことで水をにごして、親が弟にさらなるプレッシャーをかけるという形で終結した(お姉さんは勉強してもあなたの大学には入れなかったのよ!と。)。

そうして、大学に入ったらアルバイトをして彼氏の家に居座って、もうほとんど家に帰らない生活になった。

…大学入ったら入ったで、高校中退した人はいるけど小学校から学校に行けなくて高校もやめてきたという人には会えなくて、普通のふりをするのが辛かった。

要は、わたしは明らかにメンタルだったし、入った日にやめたくなった。

みんな楽しそうに見えて辛かった。

 

しかしここでやめたら中卒になってしまうと思って堪えて、ほとんどアルバイトばかりしていた。

あんまり優秀ではなかったから、というよりも自分に十分な能力がないことと意識の上での折り合いがつけられなくて、日々大変だった。

一人暮らしの家か、異性の家以外に自分の居場所が見つけられなかった。

 

 

…実家にいると喧嘩ばかりだし気が滅入って仕方がなかったので、19歳くらいで家を出て一人暮らしを始めて、さらに学校どころではなくアルバイトに精を出す日々になった。

 

 

って思い返すと、

わたしは少し休んだら良かったのだな。

もうすこし若い頃に、全速力で逃げるんじゃなくてどこかほっとできるところを見つけて、

ぼうっとしてたら良かったな。

 

わたしは、心が壊れていても、意志の力で突っ走るんだよな。