いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

うつの功罪

わたしは心療内科をやめてから本格的なうつになったので、うつ病とかいう診断を受けたわけではない

でもたぶん、うつ病だったんだと思う。

でも病院に行ってそう診断されたわけじゃないから、うつ病じゃなくて、20世紀文学的な神経衰弱ということにしておこうかなと思う。

 

 

すぎてみれば、うつも悪くはなかったと思う

 

明らかにうつになったことで悪かったのは、

食べない飲まない寝られない、で身体にダイレクトに負担がきたことかな。最初の二ヶ月くらい。動けないし負担がきついので死にそうである。

それから経済的な損失。

ただ、今後どうなるかわからないけど、とりあえずは貯蓄が底をつかずに済んでおり、夫も持ち堪えてくれたので助かった。

 

よく考えれば、

まあ、動けないことは結果的に考えれば寝てるのだし、寝てれば栄養もいらないし、と思いたいけど、子供がいるとなかなかそうも行かなかったのが辛かったけど、ちょうど冬休みの期間がピークだったので、夫が休みで助かったと思う。

 

きちんと回復するまでまだ少しかかりそうだけど、いろいろ学んだことは多かった。

 

結局、小さいストレスや無理を重ねる習慣があったから(わたしは大きいストレスでも無理していたかとは思うけど)、こうなったのだ。

慢性的に、自分が望まないこととか、辛いことに頓着しなかったり、気がつかないようにする癖があった。

自分が傷ついていることとか、辛いことに気がつかないようにしていた。

 

さらに、できないことを認めて積み上げることが、できなかった。

大事なことである。子供の頃から、言葉の上では理解していて、そう思っていたのに、そういう風になれないまんま大人になってしまった。

これができるようになるためにわたしは鬱になったかもしれない。

そのまんま死にたくはないなあと思うのだ。

まだできてないから完全に治ってないと思う。

これが治るまでたぶん私は同じことを繰り返すんだろう。まあいいんじゃないかと思う。

でももう少し考えてみたほうがいい気はする。

そういうきっかけを得たという意味では鬱は貴重だ。ほんとに焼畑農業だからだ。

 

言葉の上では理解していて直さなきゃいけないと思っている問題を、

…わかっちゃいるけど、同じ問題を心が理解しているかというとそれは難しい。

 

どうして、あえて病院で鬱にならんといかんのかと最初は考えていたけど、

通った病院で、バイトをして、他の職員から排斥された挙句怒鳴られるというのは、なかなかのストレスである。

逆に言えばそのくらいのストレスでなければ、わたしはあそこまでの鬱になれなかったかもしれない。

しかも、どこで鬱になるかであって、そこでなければ次だったかもしれないし。

そういうことだと思ったらどうかなと思う。