いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

現実逃避について

世の中はお金がないと生活ができないのだが、わたしはお金のためというよりは自分の興味のために仕事していたと思う

それと、お金とのことを両立させた結果が前の仕事だ。

お金だけ欲しいならたぶん、あんな仕事にはつかない。

 

ならなぜやめたのか?

現実的な困難というのはあったけど、もし意欲があるならそんなの現実的な解決をすれば良いだけだ。

結局、自分を見失ったからだ

 

わたしの人に対する興味のほとんどが医者に対する興味になぜかすり替わってしまった

それはある意味現実からの逃避なんだけど、逃避先の方が苦しかったと思うのになんでわざわざ逃避したのか全くわからない。

いまでも望みが通らないときに鬱な気分になることがあるけれど、

自殺願望みたいなものの代わりなんではないかと思う。現実に向かって努力をするべきなのに、それをしてないのだ。

なんでそんなことになったのか?。

 

通院をすることによって、自分の中で希望との間にさらに壁を作るからではなかろうか。

自分はできるとかやろうとか思う代わりに病気だからとか、負担が大きいから無理だとか考える

休まなきゃとか障害だから無理だとか。

概ね現実と戦う代わりに自分の中の想念と戦う羽目になる。

 

ちなみに、先生に対する感情については、あれが愛なのかいまだに全くわからない。

何度か人を愛したことはあると思うけど、これが愛なのかなんなのか自分でわからないというのはたぶん初めてだと思う。

愛だということにしてできることはやろうと思ったけど、やっぱりそれは違ったということになるのかなあと思う。

だって、立場が限局されている関係で、医者と患者とか、上司と部下という形態以外ではコミュニケーションのチャンネルがない。

全人的な関係でもなんでもないところに、恋愛なんてないと思う。

それと、家族とか友達とかのコミュニティを巻き込まない。

わたしが知ってる恋愛関係とは違うし、全くもって愛じゃない。

あれはわたしの想念であって、働けないとか病気だからとか自分を脅すわたし自身なのだ。

つまり単なる神経症の症状で、医者はそれを体現しているように見せているだけなのだ。

本当の愛なら現実を阻害しないし、基本的に価値を増す方向に行くと思う。

 

なので、わたしにはその関係が"理解ができない"になってしまって、そこでグルグルするわけなんだけど、ようは全部が現実逃避である。そこで病院が現実と戦う何かの手助けをしてくれるならありがたいけれど、そうではない。そんなの期待するもんでもない。

あの病院に関しても医者は基本的に、病気であるというラベリングを与え、後は放置しただけであって、それをうまく活用するかどうかは患者の裁量によるのだ。

 

人がこうした時に望む関係が、例えば生殖とか家族とかだとするならば、そういうものは全人的な関係を前提としてると思うので、

明らかにそういうのとは違うし、現実離れしている。

無益だし不毛だなと思う。その認識だけはずっとあって、引きずられながらもあった。

それまで社会に向かって開かれていたチャンネルがだんだん狭まっていった。

限局された二者関係に耽溺してたわけなんだけど、いくら耽溺しても社会性がないから生産的にはなり得ないのだ。

なんでかわからないけど社会性を遮断する方向に事態は進んで(わたしの中では自信を失っていって)他人との関わりがどんどんなくなっていった。最終的に引きこもった。

 

世界にはこういうものを愛だという人がいるらしいけど、わたしには理解できない。

とった行動が愛と同じなら同じに近くなるのかもだが、結果的にそれにはならない。

百歩譲って愛であろうが、わたしにとって時間を使うほどのものがないものだとは思う。

 

結局そこには、自分自身しかいないからだ。