いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

心理学の本?

昨日実家に帰ったら

大学生の頃に読んだらしい、河合隼雄の"境界例"という本が出てきた。

そういえばあのころ、境界例というのが流行ってた。職場でも流行ってた。

この本は全然面白くなかったけど、BPDの人の臨床例が書いてあるのがちょっと興味深かった。

この本の中に出てくる母親像の一つが、自己愛が強くて子供に関心を寄せようとしないという像(っていうかそういう風に本で書いてあるんだな)で、子供は"心を抱いて欲しかったの"という。なるほどね。

セラピストが何を言っても親は反応しづらい。母子に対して長期のカウンセリングが必要であったと。

(…うんざりするような仕事だな)

 

感覚的には理解できる。

なるほどそれはうちの母にも少し似ているなあと思った。

先日、思春期に過食で入院したことがある(もう回復してる)人と話してたんだけど、昔親が過干渉だったと。

いろいろきいたけど、要は同根だなあと思う

他者として受け入れていないというか、自分の意に沿わない子供については見ようとしない、ということなんだろうなと思う。

 

でも、"そういう考え方もある"だ。

それなら親はそういう性格で生きてきたのに、子供を産んだがためにどうしても性格的に生まれ変わらないといけないのか、

それは親のために必要でそれが幸せなことなのか?。

それからその対話のために使う膨大な時間はどういうことになるのか…。

仮に親と子供が健全な関係性を作り上げられるようになったとして、社会に出て行く時間がだいぶ損なわれるのではなかろうか?とか。

そもそも母親がそんなよい状態であらねばならないと考えるのはおかしい。

母親が良い母親でなかったから子供が生きづらいとしたら、母親を矯正しないと子供は治らないのか?… は、どう考えてもおかしい。

と、いうかわたしとしては時間のロスだと思う。

この本には、母親が子供に対する関心を寄せるようになったら当然ながら子供の暴力が少なくなったとか書いてあったけど、それって、因果関係があまりに迂遠というかわからないなと思う。

子供が、"心を抱きしめて欲しかったの"というその気持ちを抱きしめるのは何も実在の親ある必要は全くないし、セラピストやソーシャルワーカーである必要はないと思うのだな

そういう意味で、犯人探しというかいらんストーリーを作り上げるようなこの本はちょっと気持ち悪い

フロイトのドラは境界例の… というけれど

原因に固着し過ぎれば誰でもそうなるんじゃないかなと個人的には思う

権威的なものが斜め上からいらんことを言ったがために固着することはありうる

カウンセリングはわざわざ固着をしかけて行くわけだから(なぜなら固着しないなら箱の中にいる理由がなくなってしまう)

 

それに正面からまともに取り組んで親が子供をきちんと見るように、子供も親からの愛情をきちんと受け取るように変えて行く、というのはすごく大変なことだと思うけど、親(特に母親)と子供の関係をあまりに重視しすぎているような気がするのは気のせいか。

 

なんとなく母親がどうのこうのという例のプレッシャーを感じたりもする。

はっきり言って、日常的な刺激や習慣に比べて、母親とのコミュニケーションなんて、ある程度健全化してから考えてみると、他の人とのコミュニケーションに比べても時間的にも密度的にも大して重要なんかじゃないと思うのだけど、それなら最初から密度を時間的に、物理的に薄めて行くほうが逸脱が減るんじゃないのかと思う

自立は薄く広く依存は狭く深くとかいうし

平均的な健全さはほどほどに広く深くということになるかしらと思う。

 

 

それができない!ということになるのから精神科にいくということなんだろうけど

少なくとも治療関係において狭く深くそれをやったらよくなるんだろうか。

他人は変わらない。他人を変えて行くというのは最も困難な仕事だと思う。

自分を変えるなら取り組む甲斐があるけど。

 

…わたしとしては、少なくとも自分が援助職だった時にはBPDの人よりもアルコールとか統合失調症の人の方がよっぽどいろんな意味で示唆に富んでいたと思う。

 

 

それに、カウンセリングでBPDを作り上げるとしたら

治療者ががマザコンなんじゃないかと思う。

 

 

わたしもじつは大学生の時に自分がBPDなのではないかと思っていた。

なんだけど、わたしは責められることにデリケートなところはあったけど、他人を責めることはあんまりなくて(母親については責めていたけど実家を飛び出してからは責めることもなかった)ぼんやりして違う場面に入り込む方がよかった。

それにいわゆる社会的に逸脱した行動化?をすることがなかった(記憶がないだけかもしれない)ので、よくわかんないなあと思いつつ仕事にも癒されて生きてきた気がする。

 

そういう意味では

二年前がBPDらしいというか、行動化といえば行動化なんだろうなと思う

母親に文句言いに言ったとか、会社に文句言い散らかしたとか。

なんの意味もなく それまで保ってきた社会性を傷つけたなあと思う

きっとわたしがBPDだとするなら

自分が行った行動化によって、自分自身に関する自信が揺らいで

どんどん不安になって行くんだろうと思った

自分のとった行動によって自分が傷つくのだ。