いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

通信制の大学に行くかどうかの話

夫と話していた

通信制の大学にいって文学でもやろうかなと思っているんだけど、と言った時の話。

なにも、今は卒業しなくてもいいかなとは思っている。途中でやめてもいい。

ただ、好きな勉強をしたいというのと、今はもう、なにもやる気にならないしやりたくもないので、少しでも食指の動いたところに取り組んでみようかと思っているだけなんだけど、と。

ただ、今私は経済的に無価値であるので、大学に行くのにお金がかかるというのは申し訳ないと感じる

…というと

 

夫がいうには、

まあ自分なりに目的があって、意味があると思うのならいいのではないか

子供の学費は、長期的に払うものなので今やりたいことがある君を優先してはいけない理由はない、と。

でも例えばなんとか文学がやりたいとか原語で読みたいと思うなら自分でまず語学の勉強をしたのか? そうでもないのに通信制の大学に入って勉強をするというのは説得力がない、と。

そもそも、もともと勉強して全日の大学に行くんではなかったのか。

 

わたしとしては、…、

なんとか語は賛美歌とか読む時に多少単語は調べたことがあるけれどたしかに文法とかは取り組んでないからからっきしである。

自分で努力したかと言われれば大した努力はしていない、そこまでやりたくもないのだろうといわれれば、まあそうだし、まあ、思いつきでしかない

…全日の大学に行くためには勉強するための勉強をしなければいけない。お金もたくさんかかるから、もし全日の大学に行くならそれなりに、なにも完全回収するつもりはなくてもそこそこ…家庭教師でもなんでもいいけど、多少は役に立つ学校には入らないとかなと思う

 現在そこまで学力があるわけでないのにこんなことを言うのも僭越だけれど、今からやって経済的な元が取れるような学問分野というのはそこそこ限られていて、そのうちのいくつかは、わたしには明らかに向いていない。

それどころか、かりにチャレンジしたとしても、わたしは世の中に何の益にもならず結実しないかもしれない

受験勉強をかいくぐって良い学校に入るということは自分が何者かを考えながら未来に希望を持つ人の中に行くということだ

わたしは大した学校は出てないけど、そこそこにはいくつか受かった

それですら、だいたいそういうことだ。

お金や人のためになることのためにハングリーである人たちの中に混じって学ぶ勇気がいまは全く出ない

 

 

そんなことを考えながらここ2年くらい片手間に勉強しているが、この状況にだいぶ疲れてきてしまった。

(ただでさえ大変なところに重しを背負って登山しているようなものだ)

本当はもう好きな勉強をしたい。

好きな本をたくさん読んで好きなことをいろいろぐだぐだ考えたい。

家の経済になどなんの役にも立たない宗教哲学とかそんなものを読みながら夜中まで考えていたい。

 

あと、わたしはもう、この抑うつ的な状況から治らないと思う。

一生病気で、元のような生産的な人生には戻らないだろうから、もしそういうのが嫌で、離婚するなら考えたほうがいいと思う。

 

とにかく気晴らしに好きなことをしたい

好きな勉強をしたい。

世の中のなんの役にも立たないわたしにとって唯一の気晴らしというのはそういうことなのだ。

盛大な娯楽であって、盛大な無駄遣いであって、残ったむだな数十年の使い道なのだ。