いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

集中して家事をする

辞めてしまったけれど

あの時、前の職場の人に、自分が作業中も他のことを延々と考えていたことを指摘されなかったら

わたしはずっと、あのままおろおろしていたのだろうと考えると、あれを指摘してもらったことは痛いことではあったけれど、

本当にありがたいことだと思う。

 

それは仕事だけではなくて、家事でも勉強でもなんでもそうだったのだ。

 

森田を始めていた去年の秋頃だけは、集中して掃除をすることや、縫い物をすることに夢中になっていたので問題が解消していたけれど、その時は他人との関わりがほぼない状況だから悩みが浅く、しかも縫い物や掃除ができるようになったということだけを考えて喜んでいればよかったから、おろおろ混迷することもなかったのだと思う。

でも、働くときや、自分がある程度社会性を回復してきて、他の人との関係から、自分がこれで良いのかとか、なぜここにいるのだろうとか、そういう解決できない問題や迷いや不安が生じた時に、

"目の前のことに集中する"

という意思だけでは耐えきれない面があったと思う。

耐えきれないということにも無自覚だった。

 

わたしは部屋が汚くなっていくとかそういう、間接的なサインでしか自分の不調を物事を感じることができなくなっていたし、それをどうしていけば良いかもよくわからなかった。

 

今でも食事の時や、掃除の時に雑念が入って集中できていないなと思う時がある。

何にでも真剣に取り組まないといけないし、

何にでも(たとえうまくいかない時があっても)ポジティブ… 少なくとも、一つの工夫ができるようでありたいなと思う。

最初はいつもできなくてもいいので、少しづつの話。

 

働く以前に、雑念が入りすぎて何もできないような状況になっていないかということ

 

まずは状態を良くすることで、耐えきれないような負荷のものを今は選択しないというのも大事なように思う

少しづつ訓練して、良くしながら、もう少し建設的な物事の進め方をすることが必要なのだと思う。

出家するわけにもいかないし、出家したくもないわけだから、仕事でもなんでもできることから少しづつ探しながら動いていこうと思う。

 

 

(なぜそうなったのかというとたぶん、何もせずネガティブなことばかり考え続けていたからだと思うけど、逆のことをしないといけない)