いっとき避難場所

建設的ってどういうこと?

わたし

働くこと、学ぶことは好きだけど

どうしてもあんまりガツガツできない

 

子供が発達障害があるとか

保育園入園でできるだけ近いところ、入れるところにいれなくちゃ!家事も時短!稼がなきゃ!

ってみんな気色ばむけど

わたしはどうしてもそういうのがうまくいかなかった

 

子供時代というのは二度とないからのんびりとしたいい保育園に入れたいなと思うし

そのためには少し遠くてもまあいいか、と思った

そこにおいても発達障害がどうこう言われても そこまで先生が殺気立たれるのについていけない

そんなら保育園なり学校なり、少し休んで違うところに行ったらいいって思う

ただ毎日電話かかってきたり色々言われるのは大変なので幼稚園に転園させた

 

仕事はスピードは余裕だと思ってたけど完璧ではない

だけど、昔からみんなが残業してるのがよくわからない

できる範囲で可能な限りの量をすれば良いと思っただけ(それでも、時短ながら最終的には課で一番量的にはこなしてたからそれで良いのだと思っていた)

のんびりしているとか言われたけど

 

大学の勉強も 大検から始めて最初は何にもできなかった

国立行こうかと思ってたけど 全くわからないから、普通の勉強でなくても入れるところを第一志望にして

最終的に無理じゃないくらいには学力が上がったけど

…とにかくみんな必死にやっているのにはついて行けなかった

 

就職の時も みんな何十社も受けていたけど

そういうのができない

これ、というのが見つからないとなかなか動かない

結果的に数年バイトしてから、自分の天職だと思ったはずの仕事に行ったのにもろくも崩れた 

 

 

工場のバイトはちょっと必死にやってみたけど

結局、やっぱそれは違ったかなと思う

 

別に働いてたなら働いてたで

わたしみたいにおっとりWMしてても全然問題はないんだと思う

できていればよかっただけで

 

 

だけど、

たぶん何かが違うのかもしれない

誰にも言わなかったけど、

わたしの頭の中にある花園に踏み込まれるわけにはいかなかった みたいな感じか。

余裕でないものはできない

 

努力するのが美徳だというようなのは

前の病院の医者を見て思ったことだったが

 

そうではない、わたしはそうじゃなかったのだ

わたしはそれでも構わないし、それでも謙虚でありさえすればよい

そう思う

一年でできないことが三年でできるならそれでよし

その逆もどのようなスタンスで行うかは自由なのだ

結果を出すのが世の中である

 

そういうふうに考えてみると

ナンカチガウ感のあるものが

少しづつ自分の視界からはじかれてくる