いっとき避難場所

人間万事塞翁が馬

どうなりゆくか

残った人生の時間をどうするのか

 

久しぶりにひどく鬱々としている

珍しいことに死にたいと思うくらいなので

それなりの葛藤はある、のだが。

 

こないだ一生続けられる仕事は何かと先生に言われてから考えていたが

人はその年齢や経験によって人に役に立つ立場というのが異なるかなあと思う

だから一生同じ仕事だとかで続けるのではなくて

立場を違えながら社会の役に立つことをしていく…だろうと思う

…きっと、わたしと先生とは人生に関して視点が違うんだろうとおもう。

なにを求められるかではなくて自分が提供できるものは何かで考えなくてはいけないし

とはいえニーズは考えなければ行きづらい

一生食っていけることは必要だけど、資格職を一生続けることに意味はないのだ…

エンジニアはワーカーほど人を救えないかもしれないし、まあできる年齢も同じようなもので限られているのかもしれない

でもなんにせよ、いい年をして考えるべきは

わたしが、食っていけること、なにかの役に立つのか、だ。

少なくとも自分のためだけに何かをしようということはもう私にはできそうもないし(できる人はすごいとおもう)

もはや、食っていけるかを優先して考えるほうが普通だけど

そのためだけに生きていくことももはや自分には難しいみたいだ

単に生きていることは、どうでもいい。

死ぬのは怖いかもしれないが、今は本当に生きていることもそんなに魅力的ではない。

そういう気持ちと そろそろ対峙しないといけないころなのかな。

 

仕事を辞めたことについても

結局、わたしは二子がいて、しかも一人はADHDみたいな状況であるから、

預け先もなく社会で満足に働けない立場であった

よって、逆に言えば会社が必要とするものではないから、さらっと立場を失ったのであって

わたしが社会に対してできることというのは結局それまでの仕事ではないのだ

もしかしたらあの時何か歯車が違った方に噛み合っていれば

わたしは仕事をやめておらず、落ち着いた時にいい感じに復職できたかもしれないが

そんな采配は難しい

自分のやりがいと、必要性と両輪があってはじめて仕事は成り立つので

今の仕事もそうだけど、やりがいはともかくそれなりの必要性というか依頼はあるから、それでやっと仕事が成り立つ

 

今のわたしのステージというのは自分の子供が社会に迷惑をかけないように育てること?

…というとなんか責任を取るような話になって

人生に全く興味が持てなくなる

大変な人を産んでしまったら人生は終わりなのかなと思う。

そんなことがなければきっと、心療内科なんて掛からなかっただろうし。

 

それだけではないが…

 

それはまた鬱に逃げてることになるので

一つのサインだな…

 

要は、

次何するのかを

決めていかないといけない。

 

今日 なにか 福祉現場のボランティアみたいなものはないかなと探していた

土曜とか そういう時にできる物

仕事としても探してみたけれど、今のバイトを辞めてまでやる気持ちにどうしてもならない

なんでかな

人の役にはたつけれど、今ほど統計の勉強したり考えたりもできないから知的には面白くないだろうなとおもう

仕事的には毎日パズルゲームみたいで頗る楽しいけれど。

だから? 

しかし今の仕事は気持ち的に人の役に立っているというのが乏しくて、すこし辛いなとおもう

 

受験はいい案だけど 少しだけ荷が重い

正直、恥ずかしいし辛い

入って数年間働けないというのも嫌だ

それでもやらないと気が済まないならやるけど

実際問題どうなのだろうか

恥ずかしいというのは傷つきたくないってことだろうし

でも 別に生きていたくもないのに死にたくもないし、傷つきたくもないのだろうか

わたしとは不思議な生き物だとおもわれる